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歴史の節目
歴史の節目と仮にタイトルをつけてみましたが、歴史の節目とは人間の勝手な視点から区切りをつけたものであるので、本来そのような節目があるわけではないのでしょう。大宇宙の営みは常に滔々たる流れのままにあるようですし、大宇宙の一局所の銀河系の、そのまた局所の太陽系の、その中の一つの惑星「地球」のさらにまた一地域である日本というように視点を下ろしてくると、その歴史が数千年あるいは数万年あろうが、その大宇宙の営みからすれば、目にもとまらぬ一瞬のような気がしてきます。人間の歴史、いや地球の歴史自体が一体どれほどのものなのか?という、なにやら茫漠たる思いがよぎることも確かです。しかし、そのわずかな一点の中で黙々と営みを続ける人間の視点からすると節目を区切った方が話がしやすいことも事実であります。前置きが長くなりましたが、今回は、この節目について、少々感じることをつぶやいてみたいと思います。
今、NHKの大河ドラマは、ちょうど幕末から明治維新の頃をテーマにして、特に「天璋院篤姫」という女性にスポットをあてて描いています。私個人は、歴史の中でも戦国時代とともに明治維新前後は興味がある時代ですので、毎週楽しみに見させてもらっています。今までも断片的にこの時代の読み物は読んできましたが、また特に火が付けられてしまった感があり、その時代背景のことや人物が知りたいという気持ちが強くなっていました。ある時、古本屋で、「目で見る日本史「翔ぶが如く」と西郷隆盛」文藝春秋編(文春文庫)という書物を手に入れ、早速読んでみたら、さらに拍車が加わりました。特に、「西郷隆盛」という人に対しての関心が今は猛烈に高まっています。子供の頃、上野の動物園に何回か行ったことがありますが、その際、犬をつれた西郷さんの銅像が近くにあり、何度か見たことがありました。その時は、昔この辺に住んでいた有名な人なのだろうという印象しかありませんでした。長ずるにつれて、この人に関しての断片的な知識が入ってきて、明治維新に活躍した偉大な人だったんだという感じをもっていました。しかし、この人の生涯に関しての小説を読んだことがありませんでした。いや、一度読み始めたことがあります。それは家の物置だったか、父の書斎の奥にあったのか忘れましたが、林房雄著「西郷隆盛」という本で、読み始めてみたのですが、何故か第3巻までしかなくて、続きが読みたいと思っても、書店にありませんでした(もう絶版だったためか?)。神田の古本屋街をぶらついて、探してみたこともありましたが、うまく見つけることができませんでしたので、あきらめていました。その頃、書店で見かけたのは、海音寺潮五郎著の「西郷隆盛」でしたが、これは、かなり圧巻だったため、金銭的にも集中力にも自信がなく、「まぁ、そのうちこれを読んでみよう」などと思っているうち月日が流れ、もう既に30年弱経つのでりましょうか、今頃になって、ようやく機会が巡ってきたようです。
最近は、司馬遼太郎さんの書き遺された書籍に興味が向いていて、歴史や日本のことなどについて、著名人と対談したものを何冊か読んできていたので、その流れで、今は「翔ぶが如く」から読み始めています。その前に簡単に読めるものとして「勇のこと」津本陽著(講談社文庫)、「大久保利通」佐々木克著(講談社学術文庫)、「歴史を考える」司馬遼太郎対談集(文春文庫)、「小説SAIGOー21世紀の西郷隆盛」陽羅義光著(国書刊行会)、西郷隆盛「南洲翁遺訓」(角川文庫)他も興味深く読ませていただきました。これらを読んで思いましたが、歴史の節目には、戦国時代やその他の時代も同様ですが、本当にすごい人たちが輩出しているものです。特に明治時代としては西郷隆盛、大久保利通、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作等々優れた人物がよくも輩出しているものだと思います。しかも、これらの人達は、勝海舟を除けば、皆いろいろな形で途中で命を失っています。まるで、この時代のある時期だけに活躍するために現れたかのように・・・。例えば、島津斉彬というその時代に最も英明で国際事情に通じていた薩摩の藩主があり、この斉彬公によって、西郷隆盛は見出され、お庭番として様々な働きをさせられ、また、薫陶を受け、「西郷隆盛」という人物が形成されるのに多大な影響を及ぼした人ですが、この斉彬公が、薩摩の改革、ひいては日本の改革に乗り出そうとしていた半ばで、夭逝してしまいます。この人がもっと長生きをしていたら、日本の歴史も変わっていたであろうし、西郷や大久保が今知っている歴史のように活躍することも無かったかもしれないとも言われています。また、坂本龍馬は、皆さんご存じのように薩長連合のために大いに活躍し、その他、様々な時代を先取りした足跡を残し、大政奉還が成った直後に刺客によって、32歳の若さで命を落とします。まるで、そのために生まれてきて、走り抜けていった感じです。不思議なものです。歴史はこのように流れてきました。この流れがあって、今の時代があります。さらにこれからどのように流れていくのかはわかりませんが・・・。
最も人間の営みというのは、偉人だけでなく、老若男女、善人、悪人、賢人、愚者とあらゆる人たちの相互関係で成り立っているものであるので、歴史には残らずとも、まったく名もない人が重要な役割を担っていることも多々あるのでしょう。というよりその時代を成り立たせるために、すべての人たちが必要不可欠な存在かもしれません。
ジグソーパズルの絵で例えれば、一つ一つのピースは曲がりくねったり、膨らんだり、途中で切れているように見えます。ちょうど、一人一人の人生が、太く短い人生、細く長い人生、もう少し活躍すれば面白く成りそうなのに、志半ばで途切れたりする人生、まったく役に立っていなさそうな人生といろいろありますが、それをきっと歴史の枠に収めるとピタッとすべてが収まるのではないのでしょうか。どれ一つとして無駄な形はなく・・・。端っこのなんでもないような背景の一つのピースでさえ、それが無ければその絵を完成させるわけにはいかないのと同じように・・・。
最もこれは、人間の営みがその行き着くところが、何らかの完成という見方に立ったものですので、本当の所はどのようなものかは、知り得ようはずもありません。そうであってほしい(なんらかの意義があってほしい)と祈るのみです。
自覚があるかないかは別として、あらゆる人にその存在理由というのがあるのかもしれませんが、それでも確かにある輝きをもって、その時代に映える人達がいます。誰が一番輝いて見えるのかは、もちろん個人個人の好みや考え方によって、違ってきます。私にとっては、明治維新の頃の人物としては、「西郷隆盛」という人が最も心に響きます。「西郷さん」(この呼び方が特にしっくりきます)の伝記の断片を目にするにつけ、心にじわ〜っと熱いものがこみ上がってきます。特に最近、このような思いが強くなっています。うれしいことにこの間、オークションで例の林房雄著「西郷隆盛」(全22巻ーこんなに圧巻だったとは初めて知りました。せいぜい7〜8巻と思っていましたので)(徳間書店)をみつけ、落札できました。ようやく忘れ去っていた長年の宿願が果たせそうで楽しみにしています。海音寺潮五郎氏の著作も含め、この機に一気にいろいろと読んでしまおうと目論んでいる今日この頃です。
(遠田弘一)
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