以前のトピックス

6. 天国と地獄

 今、世間では難治性といわれるアトピー性皮膚炎・・・。
 実は私もごく軽症ではあるが、この体質をもっている。ある時・・・おそらく20歳も過ぎた頃からだと思うが、額に赤いぶつぶつができるようになった。
 その頃は、原因がよくわからなかった。特に父が近畿大学東洋医学研究所に赴任することになり、母が東京と大阪を2週間毎に往復するようになってから、症状がひどくなってきたように思う。もちろん母が大阪に行っている間は、掃除、炊事、洗濯、買い物、料理を一人でしなければならなくなり、手のかかる弟の世話もするとういう状況に陥り、ストレスもかなりあったことも原因の一つとは思う。しかし、最近になってようやくわかったことであるが、実は一番の原因は甘いものであったと思う(これは近畿大学東洋医学研究所あるいは慈温堂を受診しているアトピー性皮膚炎の患者さんならよくわかっていることであろう)。私も小さい頃より、大の甘党で、甘いものならどんなものでも好きであったし、よく食べてもいた。東京で、家事全般をまかされるようになって、買い物をするときは必ずと言っていいほど、チョコレートを筆頭にいろいろな甘いものを必ず切らさずに買ってきては、毎日甘みづけ体質をつくっていた。幸い軽症であったことと、この甘いものが一番悪いという知識を得てからは、症状が目立ってきたら、甘いものを少し控える程度でおさまっている。すなわち、病苦ではなくなっている。
 さて、私事が続くが、私の妻もアレルギー性鼻炎がある。因みに彼女も大の甘党である。とくに掃除などで埃が立つと、てきめんに鼻がむず痒くなる。これも幸い“麻黄附子細辛湯”がよく奏効するので、彼女もこれを病苦というほどにとらえているわけではない。しかし、去年12月に授かった長男(現在6ヶ月)がこの両親の体質を一心に背負ってきたせいか、アトピー性皮膚炎様の湿疹(いわゆる乳児湿疹)を患っている。1ヶ月を過ぎた頃から目立つようになり、2〜3ヶ月ごろがピークだった。母親が甘いものを摂取していると母乳にも影響がでる可能性があるというので、妻も大好きな甘いものをがまんし、当科でおなじみの“白虎加人参湯”を煎じて飲ませているせいか、最近は多少ましにはなってきているがまだ完治しているわけではない。いまだに母乳がメインであり、甘いものを控えているといえどもやはり母乳には甘みがあるので、離乳食がメインになってこないと完全には良くならないかなぁとも思っている。しかし、経験済みの何人かの友人・知人からの助言によると、乳児湿疹は自然に治るとも言うので、それほど不安や苦を感じているわけでもない。最も子供が痒がって泣くのをみると、たまらなくなり、代われるものなら代わってやりたいという気持になるが・・・。
 ところが、世間ではこの疾患を患い、非常な苦しみとしてとらえている事実が多くあり、この疾患をもつ幼児の将来を思い悩み、殺してしまった母親までいるということを聞くと、“治る病気なのに・・・”という思いでいたたまれなくなる。これはこの病気のみならず、いろいろな物事において、それを苦しみや不安と捉えてあがいて生きている場合と、苦や不安を感じていない、あるいは今現在は解決策が直ぐには見つからなくともその中で、最大限に生きようという希望をいだいている場合とで、生きている状況がまるで違ってくることになるのではないだろうか。
 先日、後輩の結婚式があり、出席してきた。その際、何人かのスピーチの中で、名前は失念したが、衆議院議員の先生が話をしていた。聞くともなしに耳を傾けていると“天国と地獄”という仏教の話が聞こえてきた。まじめに聞いていなかったので、どのような文脈で話していたのか記憶していない。しかし、私が小さい時、父がどこぞのお寺さんで買ってきた、子供向けの漫画による仏教の譬え話の小冊子にこの話があったことをその時、懐かしく思い出した。確か次のような内容であったと思う(例によってうろ覚えである)。
 「ある人-特に良くも悪くもない普通の人-が、死んで、閻魔大王のところへ行ったらしい。さて、天国へ送るか、地獄へ落とすか、決めかねるので、特例として、両方を見学させることになった。まず、地獄へ言ってみると、気候のよい穏やかな環境の場所にそれなりのりっぱな家が建っている。中に入ってみると、家族が数人いて、食事時であるのか、ごちそうが食卓に並んでいる。よく見ると2mもの長さの箸がおいてある。ごちそうを目の前にしながら、箸が長すぎて食べることができないで、みんなで苦しんでいる(これは、譬え話であるので、“手で食べればよかろう”などというへそ曲がり的解釈はしないでもらいたい)。さて、次に天国へ行ってみた。そこの環境も同じように穏やかで、やはり立派な家が建っている。中にはいってみるとやはり、家族が数人いて、食卓にごちそうが並んでいる。ここでも箸の長さはやはり2mの長いものしかおいていない。しかし、ここの人達は、その長い箸をうまく使って、ごちそうをつまんではそれぞれ相手に食べさせ合い、幸せに食事をしていた。」というような内容だったと思う。その後、その見学した人がどうなったか・・・? 確か、両方を見学して、様々なことを学び、深く仏教に帰依して天国に行ったはずである。めでたし、めでたし・・・。
 さてこの短く、簡単な話の中に、いくつもの高い理念というか、真理というものが含まれている気がする。この世は実に様々な人が様々な次元で生きている。例え同じ環境や境遇で生きていても、それをどのように受け取っているか、すなわち、苦しみばかりを見て生きていくのか、楽しさを見いだしながら生きていくのか、その状況に絶望しているのか、何らかの可能性や希望をもっているのか、それによって全く次元を事にする世界にいることになる。
 現実の生活で起こってくる種々様々な事柄にとらわれては、思い悩み、苦しんでいることもしばしばであるが、何かをきっかけとしてこの“観の転換”に、ふと心が至ると状況としては同じでも不思議と「苦」と感じていたことが消え去っていたり、あるいは軽くなっていたりすることは私だけではなく多くの人々が経験していることと思う。今置かれている状況をどのように捉えるのか、あるいは今の状況に絶望してあきらめてしまうのか、それとも今ある状況を最大限に生かすために何ができるのかという姿勢で取り組めるのか否かで、同じ状況が天国にも地獄にもなる。“天国と地獄”は死んでから行く所というよりも、人それぞれの人生のあらゆる瞬間に生み出されている心の状態でこの世を捉えている世界であるのかもしれない。
 思いつくままに取りとめのないことを長々と書いてきてしまいました。 (一漢方医のたわごと・・・)

(遠田弘一)