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13. デジタル疲れ
膨大な量のカルテと患者の患部のスライドを整理しつつ、これが初めからデジタル化してあればいかに便利だろうと思わずにはいられませんでした。検索も簡単だし、何よりデータの保存場所に悩む必要もなくなります。
しかし一方、デジタル・データにもまた問題は山積しています。まず、デジタル・データはそれを取り扱うソフトウェアのインターフェースによっては非常に使い勝ってが悪くなります。電子カルテのデモなど見ても、まだどうも使う気になれません。また、デジタル・データを保存する現在のフォーマットは果たして、10年後、20年後にも使われているでしょうか。コンピューター・ソフトウェア・ベンダーは新製品を買わせるために定期的にフォーマットを変更している節さえあります。さらに、根本的にデジタル・データはそのままでは人間の脳の情報処理と相容れないところがありますまいか。Pixarがいくら実物に近いCGを作り出しても、どうもしっくり来ないのです。私などはNHK教育の朝の子供番組で放送している、実物の野菜や果実を使って風景や動物を作り出す5分間ドラマ「果実の森の物語」の大ファンです。何ともいえない暖かみとユーモアが感じられるのです。
先日ある先進病院に通院されている患者さんが不満そうに「あの病院では、最後に『お大事に』の一言もないんですよ、だって最後の支払いも機械でするんですから‥‥」というのを聞いて、唖然としました。この病院の設計者は根本で間違っている。機械化すべき部分と人間の手を残す部分をどう配分したら良いか何も考えてないのではないかと。人間はやはり最終的には人間にケアをしてもらわないと安らげない存在なのではないでしょうか。この点を押さえてなければ、どんな最新医療設備も虚しい機械の山になり果てます。
最近、いわば「デジタル疲れ」とでもいう症状に陥っている人がちらほら出ていませんかね。古い機械式銀塩カメラを手にとったり、腕時計も古い手巻きがいいと思ったり。デジタルの便利さは十分わかっているつもりですが、アナクロニズムに陥ることなきアナログの復権を願います。それにしても心配なのは、将来の伝記作家です。くだんの人物がやりとりしたe-mailを50年後にどうしたら発掘できるのでしょう?
(雨宮修二)
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