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14. 近代漢方
2002年に入り、大きな変化─父、遠田裕政が3月で近畿大学東洋医学研究所の教授職を停年退職し、自分も同研究所を依願退職した─を経て、ここ慈温堂も名称を慈温堂 遠田医院(大阪近代漢方研究所)と改め、午前診も開設し、診療がはじまっている。この2〜3ヶ月は、生活状況も大きく変わったため、とても忙しい毎日であった。ホームページにも写真を掲載され、4月から正式に慈温堂のメンバーの仲間入りをしたので、近代漢方についての簡単な解説を交えて、今の思いを述べてみたい。
さて、近代漢方とは何か?
このホームページでも説明されているし、父の著した書籍(近代漢方・総論および各論 医道の日本社)にも詳しく記載されているので、あえて言うまでもないが、簡単に言えば、近代的なものの見方、考え方をもとに漢方薬方の成り立ち、使い方を体系化した漢方である。
そもそも漢方とは、何なのか?
それは、中国で生まれ、日本に伝えられて、独自に発達してきた湯液療法を主体とした治療法である。はじめは、生薬─主に草根木皮からなる─の単品を用いた民間薬的な使い方であったものが、数千年の歳月をかけ、まさに人体実験による試行錯誤の末に、複数の生薬が組み合わされるまでに洗練され、伝承されてきた貴重な人類の遺産である。しかし、伝承されていく過程で、中国においては陰陽五行説という観念論によって薬の働きや使用法が考えられるようになり、また日本では気・血・水説という独自の観念論によって説明されるようになってしまった。このような考え方の漢方は、現在でも東洋医学会や巷の解説本などでまかり通っているのが現状である。しかし、これらは、近代的な考え方の裏打ちのないものであり、今のままでは、漢方は西洋医学に飲み込まれていってしまう危機的な状況にある。“西洋医学によって漢方が取り込まれるならばいいではないか”と思われるかも知れないが、実は西洋医学の考え方と漢方の考え方はその根本からして大きく異なるものである。西洋医学は、細胞を単位とした考え方(細胞病理学)が主体であるが、漢方は個体そのものを単位とした考え方(いわば個体病理学)をする。西洋医学的な考え方で漢方を使うならば、ある症状だけに対処するような使い方(=局所治療)に陥り易く、漢方薬の本来の働き─身体全体に働きかけ、その体質から改善していくことによって局所の異常を治してゆく(=全体治療)─を十分に生かしきれない、すなわち、人類の貴重な遺産が知らず知らずのうちにその中身が風化してしまう可能性がある。
では、従来の漢方と近代漢方では、どのように違うのか?
これも上記の書籍に詳しく解説されているが、従来の漢方では、生薬構成という考え方を意識していない使い方が一般的と思われる。すなわち、ある病気に対処する場合、“〜湯”と名付けられた無数にある薬の中から、行き当たりばったり使ってみて、たまたま合えば、それでよし。合わなければ他を試す、というような使い方が大部分と思われる。漢方をろくに知らない人であれば、症状ごとに違う漢方薬を出す、つまり西洋薬の代わりに漢方薬を用いる(=西洋医学的使い方)ということになりかねない。
一方、近代漢方では、漢方で大事な全体像をまずとらえるという土台があり、その上で、生薬構成という考え方を大事にする。それぞれの生薬の働きについて、上記の観念論的考え方を退け、近代的な考え方によって、生薬を分類したため、“湯”の基本構造が明らかとなった。そのため、この考え方による使用法では、より少ない生薬構成で、よりよい効力を発揮する“湯”を自由に使いこなせる漢方として体系づけられている(詳しくは上記の書籍参照)。もちろん、合方という用い方で、複数の漢方薬を出すこともあるが、これは、その湯を構成する生薬およびその期待される働きを把握した上で、使用しているのであり、症状毎に処方しているのとは意味合いが違う。
いくつかの疾患に対して有効な生薬構成の“湯”は近代漢方の考え方で、すでに実証されてきてはいる(「近代漢方・治療編」医道の日本社 参照)が、まだまだ、世の中には様々な疾病があり、今後の臨床実践による近代漢方の広がりの可能性も無限に残されている。
なんの縁かは知らないが、自分は生まれたころから、漢方に慣れ親しんできたものであり、現在、医学の世界に身を置き、漢方を志すものである。漢方の現状を知ってしまった以上、とにかく当院において地道に臨床実践に励み、近代漢方の可能性をさらに広げていくことが、自分の今進むべき道と考えている。
(遠田弘一)
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