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19. 親バカのつぶやきー2
例によってまた、独り言をつぶやかしてもらうこととする。
子供が成長し、様々な行動パターンが現れてくるにつけ、ますます愛おしさも強くなってくる。最近は、何か小さいものは人に限らず、動物でも我が子のイメージに重なって見えてくるから不思議だ。街を歩いている親子連れ、公園で遊ぶ子供達、“おかあさんといっしょ”などの子供番組などで、それぞれ好き勝手なことをしている子供達・・・その子供達の仕草に我が子がだぶってくる。
はたまた、動物番組などで出てくる子犬、子猫、子象、子ライオン、その他・・・その子供が親にジャレつくかわいい仕草に我が子がだぶってくる。
つい先日、ある番組で様々な状況下で生きている生き物について放映していた。たしか、どこかの砂漠で生きているカエルだったが、乾燥地帯なので、時間をかけて、わずかの水を膀胱にいっぱい貯めて、砂の中で厳しい状況をしのいでいるという(無邪気なカエルのアップが映し出される)。とそこへ、現地で暮らす住民がやってくる。住民はその習性を知っていて、手持ちの水がなくなるとそのカエルを掘り出して、おしりの方から水を吸って飲み(カエルをつかまえた住民がごくごく飲む姿が映し出される)、渇きをしのぐという。そして、せっかく集めた水を飲まれてしまったカエルが、また砂の中に戻される。そんな1シーンがあった。“ああ、なんてことを”とちょっとかわいそうな気がした。なされるがままの弱きカエルの姿が我が子にだぶってきて・・・。
また、違う番組では、蘭という花を題材に、進化の不思議をレポートするものがあったが、ある場所に繁殖する蘭は、確実に生き残るため、花びらの一つをある蜂のメスに似せた形態に仕上げ、そのメスと同じような“におい”までだし、オスを誘い、花粉を運ばせるという仕組みを作り上げていた。1種類ではなく、多数の種類があり、形態もまちまちで、その一つ一つが特定の蜂のみをターゲットにしているという。まったく生命には多種多様な存在様式があるものなんだなぁと感心させられた。そしてその方法とは、オスの蜂が、形態を変えた花をメスと思い込んでしがみつき、交尾をするためか、別の場所へ運ぶためか、羽根をバタつかせるが、ビクともしない。そうこうして動いているうち、予め用意されていたスポットにちょこんとはまり込み、たくさんの花粉を背中に付けられてしまうとう巧妙な罠・・・。あわてるのなんのって、やっとの思いで、その場所から抜けだしたももの、いつの間にかメスを見失ってしまったという素振りで、そして背中にいっぱい花粉を付けられて、飛び立つそのオスの蜂の“あわれ”というか、思わず笑いを誘う仕草にも我が子がだぶってくる。(重症である・・・と思いきや)
先日、姉が父親の引っ越しの手伝いのために下の子を連れて、大阪の方へ遊びに来た。遠く離れているので、自分の子が産まれてからは会うのが初めてで、久しぶりだった。いろいろ話しているうち、ふとしたタイミングで、小さい生き物がみんな自分の子供に重なって見えて来るという今の気持を打ち明けると、“そ〜なのよ〜、本当に小さいものに対する愛情が自然とでてくるのよ〜”と心から同意を示していたので、やはり、親になると同じなのかと新ためて思った次第である。(重症ではなく、普通であったわけである・・・)
一人で生きていたときは、確かに、小さい子はかわいいものだという気持はあったものの、今こうして、親になってみるとまた感じ方が違う。なにかこう、生命に対する慈しみというか愛おしさが、ある意味で、深まった気がしている。
“親孝行したいときには、親はなし”ということわざがある一方で、そうではなく、子供は親に上述のような気持ちを抱かせることで、既に乳幼児期に親孝行以上のことをしているという説?もあるということを、この間、父親から聞いたが、確かに得難い人生経験の深みを与えられていることを思うとうなづける説である。ということは、もう既に親孝行をしてもらっているのだから、今後は、子供の成長にとって本当に必要なことをする“子孝行”にせっせと励まなければならない。(決して甘やかすわけではないが・・・)
今でこそ、朝出かけるときに、泣きながら手を伸ばす子供に後ろ髪を引かれつつ仕事に赴く毎日だが、そのうち、必ずくるであろう反抗期・・・これは、親から精神的に自立するためには、どうしても避けられない大切な時期(?)・・・たぶん・・・その時がきたら、今の気持を忘れずにいたいものである。
(遠田弘一)
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