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25. 医療:その4
前回(22)は、東洋医学の存在価値を主張し得るものとして、その「全体治療」という特徴のあることを指摘し、終了しました。
これ以外にも色々と良いことが東洋医学にはあるのですが、その存在価値を主張し得るものかどうかという観点から見ると、どうしても今一歩という感じが残るのです。
例えば、東洋医学では、(1)合成品(化学薬品)ではなく、天然品(生薬)を使用するので、副作用が少ないと言えますが、決して副作用が皆無であるとは言えません。また、副作用が多少あっても、もし、本当に有効な薬品であるならば、病気の治療に使用した方が良いという立場もあるわけで、副作用が少ないというだけでは、その存在価値を主張し得るほどのものにはなりません。
(2)手術など、痛いことや恐ろしいこと無しで、「非外科的」に治療するということは、生身の人間にとっては、大変に嬉しく、有難いことではあるのですが、一方、病気によっては、当然、外科的処置も必要なものですので、「非外科的」に治せるというだけでは、東洋医学の存在価値を主張し得るほどのものとはなりません。
(3)痛い検査、苦しい検査、恐ろしい検査をして、「病名」を確定してから本格的な治療に入る西洋医学に対して、東洋医学では、これまでの病気や治療の経過を良く聞いて、現症を良く見て病人の全体像(病態)を把握し、直ちに治療に入り得るわけですので、そしてそれで結構良くなっていくものですので、大変に手軽な実践的な、生命体にとって誠に優しい治療術であるという点は本当に有難いものですが、それだからと言って、それだけでは、東洋医学の存在価値を主張し得るほどのものとはなりません。
その他に色々と東洋医学の良い所を考えてみても、それだからと言って、東洋医学の存在価値を主張するには、どうも今一、説得力に欠けるのです。どうぞ、それぞれ考えてみて下さい。
やはりこれは、将来の理想的な医学、すなわち、「世界医学」あるいは「人類医学」という観点から考えていかなければ、十分に説得力のあるものにはならないような気がします。また、次回に少し考察していきましょう。
(遠田裕政)
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