以前のトピックス

28. 父のこと

  2003年6月13日は、私にとって忘れられない日となってしまいました。この日に、人生の大先輩であり、漢方の恩師でもある父が、もう再びこの目で見ることのできない存在となってしまったからです。既に自分の家庭を持ち、もう何年も違う屋根の下で生活をしてきたので、普段は、同じように時間が過ぎていきますが、ふとした時に、しばらく会っていないなという思いと、あぁ、もう会うことは出来ないんだという思いが同時に浮かんできて、ため息がこぼれることがよくあります。
  物心ついた時から、今日まで、色々な思い出がありますが、父がよく言っていたことは、「この世に生まれたからには、人類のために何かを捧げたい」ということでした。また、本当によく勉強していた姿が目に浮かびます。「習熟の喜びと創造の喜び」ということもよく言っていました。
  確かに、父は「習熟の喜びと創造の喜び」を知り、それを実践しながら、西洋医学的にも東洋医学的にも本当に重要なことを成し遂げ、人類に捧げ、成すべきことを成した後で、静かに去っていったと思います。
  西洋医学的に成したことに関しては、今現在の医学・生物学でも「正常細胞の分裂と分化を制御する機序について」はいまだに正確なことがよくわかっていないのですが、父はもう40年以上も前に、東大第一内科に所属している時にマウスの肝臓細胞について、その生体そのものを用いて研究し、とても重要な実験結果を得て、その機序を推定し、しかるべき学術誌に発表していることです。この実験を正しく追試し、その結果が証明され、この仮説が認められれば、正常細胞のみならず、癌細胞の分裂増殖の機序についても、一元的に説明でき、さらに生物学の根本的なことにまで言及できる可能性のある仮説であるのに、このことはまだ、正しく世の中に評価されていません。というのも、その後、この問題は、棚上げになったまま、というより世の中の流れは、それまでとは違うアプローチが主流となってしまったようなのです。つまり、生体から細胞のみを取り出して、あるいは、そのなかの遺伝子レベルまで掘り下げていって研究するというアプローチに変わっていってしまったとのこと。しかし、父の得たこの結果は、生体を丸ごと用いて調べなければ、見いだされないような事柄なのです。父が近畿大学を停年退職する1〜2年前に、再びこの分野の現状について勉強する機会があったようですが、父が言うには、未だにこのことについては、医学界、生物学界では、正しいアプローチがなされていないため、様々な現象を一元的に説明できずに、混乱した状態であるようです。おそらく、医学あるいは、生物学が、今までの停滞した状況から抜け出す正しいアプローチに再び戻ることがあるならば、父の発見したこの事実についてもその価値が見直されてくるのではないかと思われます。
  東洋医学的に成したことに関しては、『近代漢方総論』・『近代漢方各論』(医道の日本社)と題して、既に書籍に著して近代的な見方・考え方を基に漢方を体系づけたことです。しかし、東洋医学界の現状はまだまだ、前近代的な考え方が主流のようですし、そのために漢方が形骸化していきつつある状態のようですので、父のような見方・考え方も多くの人の認識には至っていません。これから漢方医学がまともな方向に進まないことには、父の近代漢方の価値も本当には、わからないままのようです。
  しかし、父としては、自分の成したことを信じていましたし、世の中も正しい認識に向かって進むであろうことを信じていたようです。しかし、自分の成したことが、正しく認識されるには、時間がかかり、とても生きているうちには、それは適わないであろうことも感じていたようです。
  私は小さい頃より、父を見て育ってきた者として、あの父が成したことならば、まず間違いのないことを信じています。いずれにしろ、自分の天職に出会い、成すべきことを成して、人生を全うした1人の存在を我が父に持てたことは、息子として誇りに思い、また父から受けた多大なる恩恵に感謝しています。

(遠田弘一)