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29. 医療:その6
前回(医療:その5)は、東洋医学が西洋医学に断然と優る点がその「全体治療」という特徴にあることを述べて終了しました。
高度の医療技術を存分に持っている現代医学(西洋医学)に対して、東洋医学がその存在価値を主張し得るのは、この「全体治療」という特徴を持っているからであるということも、既に述べてきました。
それだけではその西洋医学がこの「全体治療」という医療技術を開発してしまったら、どうなるでしょうか。当然、東洋医学は、その存在価値を主張する特徴を失ってしまうことになるわけです。それではやがて、東洋医学の実践者は困ることになる運命なのでしょうか。いいえ、決してそんなことはないのです。
西洋医学は治療技術の開発において、今後とも、あくまで「理論的」に進んでいく筈です。そうしなければ倫理的にも許されない筈です。理論的に何か治療技術の開発を目指すとすれば、局所の異常を局所の処置で治していくという治療主義、すなわち「局所治療」でいくしか方法はありません。生体全体のあり方を改善して、局所の異常も改善していくというような高等な治療手段は、「理論的」に開発出来るような、そんな単純なものではないのです。「理論的」に進んで行く限り、開発され得る治療はあくまでも「局所治療」であって、「全体治療」ではないのです。
では、一体どうして、東洋医学は「全体治療」という高等な治療手段を持っているのでしょうか。それは中国の古代において、あくまでも「経験的」に開発された治療手段があり、正しく伝承され、更に正しく洗練されてきたその治療手段を、正しく受け継ぎ、正しく活用しているからこそ、あり得る治療手段だからなのです。すなわち、「経験的」に得られた治療手段を上手に利用して、はじめて可能となっている高等な治療手段が「全体治療」なのです。
東洋医学が持っている「全体治療」といういこの独特な治療手段は今後まだまだ、発展させられて、更に高度の治療能力を持つ医療手段に発展していく可能性があります。
将来の理想的な医学、すなわち「世界医学」あるいは「人類医学」は、更に高度に発展した「全体治療医学」と更に高度に発展した「局所治療医学」の両方を、ほど良い協調関係のもとに、合わせ持つものとなるでしょう。そのためにも、東洋医学の存在価値は絶大なものなのです。
(遠田裕政・遺稿)
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