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親ばかのつぶやき-4
久々に私事をつぶやかせていただきます。子供が成長してゆくにつれ、手のかかることや心配事が増えていく毎日です。長男が4歳、長女が2歳、そして今、妻のお腹には、3人目の子供がいて、来年2月の出産にむけ、着々と成長しつつあります。今度はどんな個性を持った子が、この世に生まれ、私たちを喜ばせ、そして悩ませてくれるのか、楽しみです。
今我が家では、2人の子が、それはもうしたい放題のことをして、荒らしまくっています。特に上の子は妻と毎日のようにバトルを繰り広げているようで、私が帰宅した時もまだ、続いていることもしばしばです。仕事が休みの土日などは、私も子供の相手をしますが、時々あまりの我が儘さ加減にいらいらして、怒鳴りつけてしまうこともあります。しかし、時々、怒鳴った原因や内容をよくよく考えてみると、子供には子供の言い分があり、親の(あるいは大人としての)勝手な考えを押しつけているようなことに気づかされることもあります。親(大人)は、力が当然あるので、怒鳴りつければ、子供はそれ以上どうしようもありません。黙るか泣くかしかありません。しかし、それは、こちらの言い分がわかったからではなく、力関係上仕方がないからです。だから、なるべく子供の言い分を理解するように努め、子供の立場に立って、わかりやすく諭すように心がけようとは思っているのです。しかし、それが大事なことであると頭でわかっていても、忙しいときなどつい声を荒げてしまい、後になって反省することも多いものです。子育てとは、自分自身を育てていく(成長させていく)ことでもあるとつくづく思わされます。
もちろん、必要があれば、毅然たる態度で、叱ることは大事なことです。しかし、その根底にその子を思いやる気持ちがあるかどうか、大人としての勝手な考えや自分自身の感情のムラをただ押しつけていないかどうか、常に顧みることは大切だと思います。「一寸の虫にも五分の魂」、「八つ子も癇癪」と言うように、子供もある魂を持った尊い存在ですし、それなりの言い分もあります。親の接する態度というものを、子供なりに見ている、そしてそういった態度が、成長していく過程にも影響を与えるということを親として自覚することは大切ではないでしょうか。これは子供に対してだけでなく、あらゆる人間関係にも当てはまることですが、まず、自分自身は人に物を言える程、成長しているのか?という自問は常に持っていなければなりません。人間の内面の成長は何歳であろうと、ここで終わりということはありません。また、これは、年を重ねたから、得られるものでもありません。いかに自分が至らない人間であるかは、日々の生活の中で、瞬々刻々自分自身の有りようをしっかり見つめてみれば明らかだと思います。
少なくとも私はそうです。こういった日々の反省に加え、個人的には祈り心も大切だと思っています。神(あるいは宗教を)を信じている人、いない人、いろいろな考えや信仰は人それぞれ違うでしょうし、祈り心の内容も人それぞれでしょう。私もある祈り心とともにある者です。
自分が独りで、己のみで、生きていると思っているような人には、上記のことは、全くの馬耳東風でしょう。しかし、よくよく自分自身を観て、また周りを見てみれば、様々な人のお陰があり、社会からの恩恵があり、大自然からの恵み(空気、水、太陽…)があり、生かされている事実に気がつくはずです。あらゆるものの働きによって、まさに“生かされている自分”ということに気がつけば、自然と感謝する気持ちにもなり、祈り心にもつながっていくと思います。もっともこれもあまりにも当たり前のことなので、日々の生活でいろいろな忙しさに振り回されていると、こういうことに気づくこともできないまま過ごしている人達が大部分かもしれません。しかし、この気づきに至らない人達は、ただただ偶然のように人生が流れ、成長する機会を知らず知らずのうちに失っていることにもなりかねません。まぁ、人はどうあれ、自分は自分の成長に関わっていくしかありません。
子育てから始まって、えらそーな内容にまで、膨らんでしまいました。しかし、“つぶやき”と題していますので、まぁ、気にしないでいただければよいかと思います。
(遠田弘一)
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