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我が子に教示された読書の心

最近、次男(1歳5ヶ月)がよく動き回るようになり、ちょっと眼を離すと何をしでかすかわからいため、気が気でない今日この頃です。特に椅子をはい上がり、テーブルの上にも乗ることも覚えてきました。身体がしっかりしてくるのは、うれしいことではありますが、テーブルに乗る癖をつけてしまう(乗ってもよいと思わせてしまう)と眼を離した際に危険なので、テーブルに乗ったときは、なるべく怒ったふりをして(おしりを軽くたたいて、口でも言い聞かせて)、すぐに降ろすようにしていました。ところが、この間、妻に頼まれ、次男と一緒に留守番をしていたときのことです。
1階の部屋でお茶をのみ、読書をしながら適当にあやしていましたが、2階にちょっとした用事があって少し席をはずしました。
子供用のビデオをかけていたので、子供はそれなりに遊んでいましたが、念のため、自分の座っていた椅子はテーブルから少し遠ざけて、2階へ行き、3〜4分くらいで降りてきました。子供は普通に床で遊んでいたのですが、ふとテーブルを見ると、先ほど読んでいた本のカバー(上製本にかけてある半透明の白いカバー)にしわがよっていました。近寄ってよく見るとテーブルにお茶がこぼれていて、カバーだけでなく、本の後ろの厚い表紙の5分の1くらいの領域と小口の部分で後ろの40〜50ページ分の範囲にうっすらと緑色のシミが約1mm位の幅で上から下までついていました。「やられた〜」と思い、すぐに拭き取ったのですが、時すでに遅し・・・。隣の椅子はテーブルのそばにあったので、名探偵ならずとも、「おそらくそこを伝わって、テーブルに登り、お茶をこぼして、びっくりして、すぐに降りたもの」と推測されました。
テーブルに乗ったままではなく、床に降りていたのは、普段、注意されていたので、お茶をこぼして、「えらいことしてしもた〜」というような意識が働いたのでしょうか?
もしそうなら、それはそれなりに成長している証しでもあります。
幸いなことは、テーブルから落ちなくて良かったことと、お茶もぬるくなっていたので、火傷などもせずにすんだことです。一応、テーブルの上に乗ってはいけないことを再度教えるため、少し怒ったふりをして言い聞かせた(どれだけ、伝わったのかは定かではありません・・・)のですが、同時に子供から教えられたことがありました。
その本は、「正法眼蔵新講 上」(伊福部隆彦著)というもので、この著者である伊福部隆彦氏(故人)は、もともと老子の研究者というか、「老子の道」の人とでもいうような人で、人生のある時期に天地と一体となるような、あるいは、禅家でいう所謂「見性」というような体験を持ち、その体験の後に禅の世界にも踏み出すことになり、出会ったのが、道元の「正法眼蔵」であったようです。その道の師にも出会い、正式な師弟関係はないが、親しく交流する内に、「正法眼蔵」の精神を深く体得し、その精神および老子的な無為自然のあり方を歩みながら、多くの人を教え導いた人のようです(詳しくは、ホームページ「人生道場http://ques5.cool.ne.jp/jinsei/」を参照してください)。
この著者は、父が若いころに深く影響を受けた人で、実は、20数年前に父がこの地大阪に(近畿大学東洋医学研究所の教授として)来ることになる機縁の一つにもなった方です。
そしてこの人の著書の一つで「人生手帖」という題名の古本が手元にあります。これは、私が若い頃に道に迷っていた時に父が手渡してくれたものです。最もその時分は、自分なりにいろいろと思想関係の方面に探りを入れていた頃で、別の方面で深く影響されていた思想もありましたので、あまり印象に残っていなかったですが・・・。
最近になって、伊福部隆彦氏の上記のホームページ(現在は、ご子息の伊福部高史氏が継いでおられるようです)を知り、そこで、この「正法眼蔵新講 上」を手にいれました。しばらくは、読み出す機縁がなく、そのまま書棚に入っていたのを、ようやく機縁が熟したのか、この間の留守番の時から読み始めたばかりのときに、やられてしまったのです。しかも、上製本できれいな書籍でしたので、何となく、きれいなまま読もうというような気が働いていて、ページをめくるときも跡がのこらないように気をつけながら眼を通していた、ほんの矢先の出来事でした。
子供のこのいたづらによって何に気がつかされたかというと、「書物というものは、書棚を飾っておくものではない。ましてやこのような真実あるいは人生の指南書となるような書物と接する時は、手垢がつくくらいに何度も繰り返し読み、あるいは自分の考えや感じたことを書き込み(これは父がよくやっていました)、行間を読み取って、その伝える所の真意をくみ取り、実生活に体現してゆくべきものだ」という声なき声でした。私のその本の読み方、接し方は全くもって、本末転倒している姿でした。出鼻をくじかれたわけですが、大事なことに気がつかされた、有難い出来事でした。
「天に口なし人を以て言わしむ」といいますが、まさに口の聞けない幼児の行動を以てさえ、天の教示はあるものです。良く注意してみれば、普段の日常生活に教示はあふれているのかもしれません。大事なことはそれを聞く心の耳を養うことのようです。

(遠田弘一)